2008年12月25日

補足データ - PISA2006年度の結果(PISA 2006 results- Executive summary)

PISA2006年度の結果(PISA 2006 results- Executive summary)から、各国の科学、数学、読解力に費やす学習時間に関するデータを補足として紹介します。


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科学をみてみると、学校内授業時間数や自習、宿題に取り組む時間が長ければ長いほど、科学の成績向上が見られました。また、生徒の科学学習を推進する学校の活動も、科学成績向上につながっていました。一方で、学校外授業時間数は、科学の成績に直接的に結びついていませんでした。(読解力と数学的リテラシーの学習時間と成績の関係性については述べられていません。)



(Written by Sukekawa)
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数学的リテラシーに関する調査結果 - PISA 2006 Executive Summary 日本語訳&要約

読解力の調査結果はこちら

数学的リテラシー


PISA2006では、生徒が様々な数学的問題に関わる状況で、効果的に問題提起、解決、解釈をするときに必要な分析、論理づけ、表現ができる能力を基に数学的リテラシーが調査されました。


数学


成績はレベル1以下〜6の7段階に区分されました。PISA2006では、全体のわずか13%がレベル5とレベル6の成績を修めました。レベル5とレベル6の成績の割合が多かった国は、韓国(27%)、台湾(32%)でした。日本は523ポイントで10位となりました。



PISA2003との比較

PISA2003では、数学的リテラシーを中心に調査が行われたため、その結果とPISA2006を比較すると、成績に大差は見られませんでした。国ごとに見ると、メキシコ、ギリシャ、インドネシア、ブラジルが成績を大きく伸ばしました。一方、日本、フランス、アイスランド、ベルギーの成績は大きく低下しました。この成績低下の結果は、いずれも低レベルの成績の生徒の割合が増えたことによるものです。日本はPISA2000で557ポイントの1位、PISA2003で534ポイントの6位でした。


数学レベル別


グラフから、日本は平均より高レベルの生徒の割合が比較的多いということがわかります。レベル2は、数学の基礎レベルのラインと考えられていますが、OECDでは78.7%、日本は87%の生徒がレベル2以上の成績を修めました。



男女の成績差異

数学的リテラシーでは、男子生徒のほうが女子生徒より成績を修め、OECD平均では11ポイント、日本の場合、20ポイント男子生徒が成績を上回りました。


(Written by Sukekawa)

【関連記事】
<高校新学習指導要領案>英語で授業…「自信ない」教諭も
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読解力に関する調査結果 - PISA 2006 Executive Summary 日本語訳&要約

今回は、PISA2006年度の結果(PISA 2006 results- Executive summary)の46〜54ページまでの読解力と数学的リテラシーに関する調査の結果をみていきます。


読解力


PISAでは、読解力リテラシーを「生徒が日常生活で出会う文章情報を用いる能力」と定義しています。(この調査で、読解力はreadではなく、useに重点をおかれていることに注意。)この読解力について、成績はレベル1以下〜レベル5に区分されました。
日本は498ポイントで15位となりました。


dokkai.bmp



PISA2000との比較

PISA2000では読解力を中心に調査が行われたため、2006年度の読解力の結果と比較をしてみると、OECD加盟国中で、大差は見られませんでした。読解力の成績を上げるべく、1995年と2004年の間にOECD加盟国中で、小学校と中等学校の出費は36%増加し、2000年と2004年の間では、小学校と中等学校の出費は平均で22%増加しました。出費を増加した国の中でも、韓国、ポーランド、チリ、リヒテンシュタイン、インドネシア、ラトビア、香港で読解力の成績の伸びが大きく見られました。特に、韓国は、PISA2000と比較して平均点で31ポイント成績を伸ばし、レベル5に達した生徒も各国の中で一番多い結果となりました。ただし、韓国の結果は、主に成績の高い高レベルの生徒の能力を伸ばすことで生み出されたもので、成績の低い生徒の割合はPISA2000と変わっていません。
PISA2000と比較して成績が下がった国は、日本、スペイン、アイスランド、ノルウェー、イタリア、フランス、オーストラリア、ギリシャなどです。日本はOECD平均点を上回ったものの、高レベルに達した生徒の割合がわずかに減り、低レベルに達した生徒の割合が大幅に増えました。日本はPISA2000で522ポイントの8位、PISA2003で498ポイントの14位でした。レベル2は、読解力の基礎レベルのラインと考えられていますが、OECDでは80%、日本は82%の生徒がレベル2以上の成績を修めました。


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男女の成績差異

読解力では、男子生徒より女子生徒のほうが成績は良く、OECDの平均では38ポイント、日本の場合31ポイント女子生徒が成績を上回りました。


数学的リテラシーに続く

(Written by Sukekawa)
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学校制度、教育制度、生徒の取り巻く環境に関する調査結果(その3) - PISA 2006 Executive Summary 日本語訳&要約

その1はこちら
その2はこちら


学校の人材

充分な教師人材の供給や、教育資源の質は、生徒の積極的な成果に結びついており、有利な経済的背景がある生徒はより良い教育資源を手に入れることができるという事実につながっていました。

・教師不足の影響
一人の教師あたりの生徒の平均的な数は、10人以下がポルトガル、ギリシャ、ベルギー、イタリアなどで、20人以下がメキシコ、ブラジル、チリ、コロンビア、タイ、マカオなどです。教育資源の不足が教育の妨げとなっているという報告がインドネシア、ロシア、モンテネグロ、コロンビアなどで頻繁にされました。一方で、日本、スイス、オーストラリア、台湾などではそのような報告は極めて少ないという結果になりました。


家庭環境

PISA2006の結果からは、学校での悪い成績は必ずしも不利な家庭環境に原因があるといえません。しかし、家庭環境を生徒ごとの経済、社会、文化状況から判断すると、家庭環境は成績に最も影響を与える要因のひとつです。各国で、家庭環境に恵まれていればいるほど、生徒の能力が良いという傾向がみられました。


社会経済的背景の影響

不利な社会経済的要因の多くは、短期間で直接的に国や学校の教育政策に影響を与えるものではありません。しかし、社会経済的背景を考慮に入れて再計算した場合と入れない場合で、成績に関わる学校要因が異なることが調査で分かりました。

要因は以下のようになります。 

社会経済的背景を考慮に入れた場合、成績にかかわる学校要因

・ 全教科で能力別クラス分けをしていること
・ 入学する際に高水準の学術的選択
・ 学校の成績のデータが公的に公表されたかどうか
・ 生徒が科学、数学、言語学習に費やす時間の学校平均
・ 生徒の科学学習を推進させる学校の活動
・ 予算運用に高い自主性を報告した学校の教育制度

社会経済的背景を考慮せずに成績にかかわる学校要因

・ 政府からの資産レベル
・ 地域で生徒の競争がされている学校が1つ以上あること
・ 教師資格をもった教師の不足
・ 学校における教育資源の質


このPISA2006の結果から、生徒の成績に関わってくる学校や教育制度について見直す機会になれば良いと思います。


(Written by Sukekawa)
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学校制度、教育制度、生徒の取り巻く環境に関する調査結果(その2) - PISA 2006 Executive Summary 日本語訳&要約

その1はこちら


クラス分け

OECD加盟国で14%の生徒は全ての教科で能力別クラス分けがされており、54%の学校は一部の教科で能力別クラス分けをしていました。一部の教科で能力別にクラス分けをした学校は、良くも悪くもなく平均的な成績という結果になり、全ての教科で生徒を能力別にクラス分けした学校は、平均的に成績が低いという結果になりました。PISA2006では入学制度、選択、クラス分けの方針を科学の成績と比較できるデータを集めましたが、それぞれの関係の要因は明らかになっていません。


クラス.bmp



公立学校と私立学校

私立学校に通う生徒が大半を占めている国の21カ国で、私立学校の生徒は公立学校の生徒より成績が上でした。一方、4カ国で公立学校の生徒は私立学校の生徒より成績が上でした。生徒の社会経済的レベルを考慮すると、公立学校が私立学校の平均12ポイント成績を上回る結果となりました。日本の場合でも、生徒の社会経済的レベルを考慮しないと、成績の大差はありませんが、社会経済的レベルを考慮に入れて再計算すると、公立学校の生徒が私立学校の生徒より成績を上回る結果となりました。つまり、親が子供のために私立学校に入れることで成績がかならずしも向上するわけではないようですが、日本の私立学校には様々なレベルの学校があるので、これはこの調査で注意すべき点です。


学校種類



学校に対する親の圧力

調査に参加したOECD加盟国中21%の生徒は、保護者の多くが高いレベルの教育サービスや生徒の成績向上を要求している学校に通っていました。16カ国中、調査に参加した親は、一般的に積極的で子供の学校についてよく精通していましたが、これは国ごとに差異がみられました。例として、ドイツでは50%以下の親、ポーランドやコロンビアでは90%以上の親が、学校は子供の進度について常時役に立つ情報を提供していると回答しました。日本は、比較的大多数の親が学校に対して圧力をかけていることが結果からわかります。


プレッシャー.bmp



(Written by Sukekawa)
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2008年12月22日

学校制度、教育制度、生徒の取り巻く環境に関する調査結果(その1) - PISA 2006 Executive Summary 日本語訳&要約

前回は PISA2006年度(PISA 2006 results- Executive summary)の科学的リテラシーに関する結果について取り上げましたが、今回はExective Summaryの31〜45ページから、学校制度、教育制度、生徒を取り巻く環境が与える影響に関する調査を見ていきます。この調査は国ごとの結果の差異だけでなく、様々な社会経済背景も考慮に入れて生徒や学校の成績の違いを基に調査し、調査の質と公平さを高めました。
調査された主な事項は以下のとおりです。

・ 入学制度
・ 競争性
・ 生徒のクラス分け
・ 公立学校と私立学校
・ 親の圧力
・ 学校の人材
・ 家庭環境
・ 社会経済的背景の影響

これらの要因と生徒の成績との関係は、人口統計や生徒、学校、国ごとの社会経済の状態から関係性がみられました。

入学制度

調査に参加した約3分の1の生徒の成績は、学校によって差異がみられました。生徒の居住地はどの学校へ行くか決める際のひとつのポイントですが、OECD加盟国内の約四分の一の生徒は成績に基づいてどの学校に行くかを決めていることが明らかになりました。
各国で成績別に学校を選択した生徒は、平均的に成績が良いという結果になりました。

居住地によって


成績によって


競争性

OECD加盟国で、60%の生徒は入学するために近隣2〜3校と入学試験なので競合している学校に通っており、国内で競争力の高い学校に通っている生徒たちは成績が良いという結果がでました。そのため、競争率の高い学校が多い国はよりよい成績を修めていました。
日本の場合、約90%の生徒が他校と競争している学校に通っており、約10%の生徒がライバル校のいない学校に通っていることが分かりました。

ライバル校




その2に続く
(written by Sukekawa)
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2008年12月05日

科学的リテラシーに関する調査結果(その4) - PISA 2006 Executive Summary 日本語訳&要約

(その3)に戻る

自己効力感

生徒の科学への興味を調べることを目的とした、「自己効力感」と「科学の成績」の関係を調べた結果があります。自己効力感とは、ある行動や課題を「自分が達成できる」という信念または自信を示すものです。

次の表は以下のA、B、Cの設問を「簡単に、または少しの努力で解答できる自信がある」と回答した生徒の割合です。

  • A:地震発生頻度がなぜ地域によって違うのか説明しなさい。
  • B:病気治療のために抗生物質がどのような役割を果たしているか記述しなさい。
  • C:火星上の生命の可能性を理解するために、新たな証拠をどのように役立てることができるか記述しなさい。

PISA2006_science_literacy4.jpg

一般的に「科学への自己効力感」が高ければ高いほど、「科学の成績」も良いという結果が出ましたが、日本は科学の成績が平均点を上回っていたのにもかかわらず、科学の自己効力感が他国と比べて極端に低いという結果が出ています。

科学への興味

最後に「科学への興味」を測定するための、4つの設問に対する回答状況をご紹介します。

  • A:人体の生物学に対する興味
  • B:科学者が実験を行う方法に対する興味
  • C:科学的説明をする上で必要な事柄に対する興味
  • D:植物の生物学に対する興味

PISA2006_science_literacy5.jpg

この調査からは日本の生徒の「科学への興味」が比較的低いことが分かります。

科学的リテラシーに関するまとめ

科学の重要性を生徒に認識させることや、「科学への自己効力感」を上げること、科学の興味を引き出すような教育に今後注目すべきだと思いました。

(その1) | (その2) | (その3) | (その4)

(written by Sukekawa)

■関連リンク
堀川高校の探究活動(スーパーサイエンスハイスクール指定校)
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科学的リテラシーに関する調査結果(その3) - PISA 2006 Executive Summary 日本語訳&要約

(その2)はこちら

科学に対する態度

PISAでは「科学に対する態度」や「科学能力を日常生活で必要だと認識すること」は、個人の科学の教養を構成する重要なポイントだと考えられており、それらを把握するために次の4つの事項を調査しています。
  • 科学探求
  • 科学学習者としての自信
  • 科学に対する興味
  • 資源や環境に対する義務への思慮

結果として分かったことは家庭の経済力が高い生徒は、科学に対する興味が大きいということでした。また、両親が科学に関係した職業に就いている生徒は、より明らかな好成績を修めました。

意欲や態度は科学において特に重要ですし、また科学は今日の社会や経済で大きな役割を果たしていますが、学校で生徒たちはあまりやる気をもって取り組んでいないようです。

科学学習に関する事柄で注目すべきことは、次の3点になります。
  • 科学学習の継続した努力は公的支援に関わっており、支援の度合いによって市民の科学や技術に対する態度は左右されている。
  • 科学的、技術的進歩は人々の生活に密接に関わる重要な影響を与えている。
  • 科学に特化した人材を供給するには、科学に興味を抱く人々の一定した確保が必要で、15歳のときの科学に対する態度は、科学学習を継続し、将来、科学に関する職業に進むかどうかに影響している。


科学に対する価値観

科学に対する価値観を調べるために、科学に対する価値観を問う以下のA〜Cの質問に対して調査が実施されました。

  • A:科学は身の回りの事象を理解する上で役に立つ。
  • B:大人になったら様々な方法で、科学知識を活用する。
  • C:学校外で科学を活用する機会は多い。

PISA2006_science_literacy3.jpg

調査の結果、各設問に対して「YES」と回答した日本の生徒の割合が低く、日本の生徒の科学に対する価値観が低いことが明らかになりました。

(その4)に続く

(written by Sukekawa)
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科学的リテラシーに関する調査結果(その2) - PISA 2006 Executive Summary 日本語訳&要約

(その1)はこちら

科学の能力測定

PISAにおける科学能力の評価は、次の4つの科学の教養をベースとした事項によって測定されました。
  • 科学知識を持ち、その知識を基に疑問を認識、新しい科学知識を得て、科学に関する事象を証拠に基づいて説明できること。
  • 科学の特徴を人間の知識や探求として理解していること。
  • 科学や技術がどのように物質的、知的、文化的環境を形作っているかを認識していること。
  • 思慮深い市民として、科学に関する出来事に科学の知識を活かして関わること。

PISA2006では、日常生活で目にする科学の問題に基づいて、108問の様々なレベルに渡る問題を提示しました。文章や図表中に示された科学に関する問題ひとつにつき、複数の問題が出され、自分の言葉で回答するような問題がほとんどを占め、結果や思考の過程を説明させる問題もありました。

科学の成績

高い科学技術を備えた労働力の確保は、経済発展のために欠かせません。国として基本的な科学の競争力を持っているということは、一般的に新技術を取り入れるうえで重要とされており、高いレベルの科学競争力は新技術や革新を生み出すために必要です。

特に先端技術と密接に関わっている諸国は、経済成長や社会経済的発展のために高技術を持ち合わせた労働者が必要なので、PISAでも経済界の需要に答えるべく、高レベルに達した生徒の評価に焦点をあてました。

成績は最も良い成績からレベル6〜1という順に区分されています。
  • レベル6の生徒は全体のうち1.3%で、この生徒たちは科学知識や日常生活の様々な複雑な状況に関する知識を認識、説明、適用させることができました。
  • レベル5の生徒は9%で、科学の探求について充分な成熟した能力を持っており、科学の問題で知識と洞察力を適切に組み合わせることができました。
  • レベル2の生徒は19.2%、レベル1の生徒は5.2%でした。

科学で低成績の生徒が多いという結果の場合、国内で科学の人材を確保できないということだけではなく、市民が社会や労働市場に参加する能力が低いというデメリットにつながります。

PISA2006_science_literacy2.jpg

(その3)に続く

(written by Sukekawa)
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科学的リテラシーに関する調査結果(その1) - PISA 2006 Executive Summary 日本語訳&要約

弊社が行っている教育像の探求の一活動として、世界的に注目を集めているPISA2006年度の結果(PISA 2006 results- Executive summary)を日本語訳し、要約しました。
今回は、Exective Summaryの3〜30ページまでの科学的リテラシーに関する調査の結果について見ていきます。

PISAとは

PISA(Programme for International Student Assessment)とは、15歳の学生の知識と能力を測るため、経済協力開発機構(OECD)によって3年毎に行われる国際学習到達度調査です。PISAはOECD加盟国ごとの国際比較を通して、国際的教育知識の推進を行っています。

2006年度は56カ国から40万以上の生徒が参加し、世界の90%の経済を占めたことになりました。PISAの問題には、科学、読解力、数学が含まれており、2006年度は科学リテラシーに関しての調査が重点的に行われました。

科学的リテラシー

今、科学の知識はこれまでにない注目を集めています。それは科学は人々の生活と関係しており、科学を理解することで人々の目標達成へと結び付けることができるからです。

PISA2006_science_literacy.gif

PISA2006の結果を見てみると、フィンランドにおける科学の成績は平均563点であり56カ国中1位となりました。一方、日本においては平均531点であり56カ国中5位でした。

このPISAの点数は、世界の平均を500点として算出されており、日本は平均点を上回っていますが、PISA2000で2位、PISA2003で1位だったということを考慮すると、科学の能力低下が懸念されます。

なお科学的リテラシーの場合、数学や読解力と違って性別による大きな点数の違いはありませんでしたが、女性は科学的根拠を認識するのが得意なのに対し、男性は科学現象を説明するのが得意という差異が見られました。

(その2)に続く

(written by Sukekawa)
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2008年06月27日

堀川高校の探究活動

堀川高校外観。

 今日は『奇跡と呼ばれた学校』の舞台となった京都市立堀川高等学校を見学してきました!朝から放課後まで、教頭先生や校長先生がつきっきりで授業見学の案内をしてくださったり、お話を聞かせてくださったりと本当に至れり尽くせりでした。ありがとうございました!

 堀川高校の特徴はなんといっても課題探究型の学習をカリキュラムに導入しているところです(探究基礎と呼ばれています)。プチ大学とも呼ぶべき少人数のゼミ制を採用し、生徒が主体的に研究活動を行うことで、大学進学への動機付けを得、「学ぶ姿勢」と「学び方(学びの作法)」を身に着けます。詳細は『奇跡と呼ばれた学校』の記事をごらん頂きたいのですが、実際にその授業を見せていただくまで、「本当にそんなにうまくいっているのだろうか?」と私も実は半信半疑でした。

 しかし。実際に現場を見てみると、オーストラリアの学校を思い出させる、自由な雰囲気の中で高校生達がそれぞれ自分の研究に取り組んでいるではありませんか。「何のテーマに取り組んでいるんですか?」と質問すると、恥ずかしそうにしながらも丁寧に説明してくれる生徒さんが多かったです。結構専門的なテーマに取り組んでいる人が多くて驚きました。まるで大学の卒論のテーマのような印象です。「研究の時間が足りないので、もっと長く取り組みたい」と言っている生徒もいました。

 先生によれば、生徒達はその続きを大学で行うモチベーションを得て、やりたいことが明確になり、「やりたいことのできる大学」を選ぶから、受験勉強にも身が入るのだということでした。成績から「いける大学」を選ぶことはしません。また、大学進学が目的達成のためのあくまで手段であることがわかり、日本の受験生によく見られる、大学に入学した途端に学ぶことをやめ、無為に時間を過ごすこともないのだそうです。(もちろん、これは理想論です。ただ、個人差はあれ、そのようなモチベーションを多くの生徒が得られているのではないかと見学して感じました。)

 生徒達は自分たちの研究成果を発表する機会も与えられます。その日は外部にも公開され、近隣の小中学校生、保護者や専門家の方々もたくさん発表を聞きに訪れます。先生によれば、ここで外部の専門家に叩かれることで、生徒達は自分たちの知識が不足していることと、それゆえに自分たちは学ばなければならないということを学ぶのだそうです。

 それにしても、生徒の研究の中でも特に優秀で、海外のコンクールにまで進出したというもののポスターを見てまたビックリ。私も大学院時代に学会発表などをしたことがありますが、そのポスターは大学院生が書いていたとしても全然おかしくないような内容だったと思います。これはさすがに才能もあったでしょうし、その生徒の努力も相当なものだったのでしょうが、探究基礎というきっかけを与えることで、高校生でもここまで伸びる人がいるのだなぁ、と感心させられました。

 探究基礎の活動内容を見ていると、テーマこそ小学生と高校生では異なりますが、そのアプローチはオーストラリアの教育方法である inquired approach とそっくりであるように感じます。遠く離れた二つの国で独立に生まれた教育のアプローチが共通だというのは何とも不思議ですが、むしろそれはこれからの社会で必要とされる能力を育むためのアプローチとして正しいことを示しているのかもしれません。

 私もこれまでの事例研究の中で、「生徒がその教育を終了後に社会で経験することを、あらかじめ教育課程で擬似体験させることで、社会に出るモチベーションと必要な能力を身につけさせることができるのではないか」と考えるようになりました。堀川は、大学進学に特化しているとはいえ、その考えを補強する成功例であるように思います。

 ただし、堀川は特別な例であるともいえます。京都市のパイロット校であり予算が潤沢であったこと、予算以外にも近くに京都大学をはじめとした総合大学があり、探究活動に使える人的・物的リソースが豊富であったことが、大きく影響している点は否定できません。教育熱心ではなく、近隣に提携できる大学や企業がない自治体のほうが全国には多いと思います。容易に一般化はできないといえるでしょう。

 とはいえ、その教育原理はとても有効だという実感があります。具体的な実践方法は地域によって異なるというところに配慮しながら、あるべき教育像を探っていく手がかりにしたいと思います。


(written by tomoya)
タグ:教育視察
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2008年06月20日

R2、メルボルンをゆく! 〜オーストラリアの教員養成課程の巻〜

 今日は名門メルボルン大学を訪問し、教育学部の先生にオーストラリアの教育についてインタビューをして来ました!私自身がこの春まで学生だったこともあり、キャンパスの雰囲気はとても落ち着きました。メルボルン大学はクラシックな建物と近代的な建物が共存し、緑も多く、とても美しいところでした。私も、こんな素敵なキャンパスに留学したいです。(もちろん、私の母校のキャンパスも非常にいいところでしたが。)

今日は初めて、トラム(路面電車)での移動となりました。キャンパス訪問、楽しみ〜。
今日は初めて、トラム(路面電車)での移動となりました。
キャンパス訪問、楽しみ〜。

メルボルン大学到着!何だか、お洒落なキャンパスっぽいぞ!?
メルボルン大学到着!
何だか、お洒落なキャンパスっぽいぞ!?

おぉ、やっぱりお洒落だ!歴史のありそうな、風情のある建物が多いですね〜。お休み期間だからか、人通りがあまりありません。
おぉ、やっぱりお洒落だ!
歴史のありそうな、風情のある建物が多いですね〜。
お休み期間だからか、人通りがあまりありません。

と思いきや、こんな近代的な建物も。緑が多いのがいいですね〜。
と思いきや、こんな近代的な建物も。
緑が多いのがいいですね〜。

教育学部棟。何だかアカデミックな雰囲気だ!(当たり前だけど)
教育学部棟。
何だかアカデミックな雰囲気だ!(当たり前だけど)


 さてさて、これまでの視察で、オーストラリアでは自律的学校経営を導入して学校現場に裁量権を与え、クラスでは Integrated Studies や Inquired Approach が実践されていることを、本の上の知識だけでなく実際にこの目で見ることができました。しかし、その中でどうやってそんな実践ができる先生を育てているのか?という疑問が湧いてきました。教科書のないオーストラリアでは、先生にカリキュラム開発能力や、「6つの帽子」などの思考法を授業で実践するスキルが求められるのです。

 その答えが大学の教育学部、教員養成課程にあるのではないかと考えた我々は、幸運にもまさにカリキュラム開発を教育学部の学生に指導していらっしゃる先生にお話を聞かせていただく機会に恵まれたのでした。

 結論から述べると、オーストラリアで先生になるには大学でカリキュラム開発やさまざまな思考ツールの使い方を、実践を通じて学ぶ機会を提供されます。今回取材させていただいた先生(以下、S先生)は、次のような授業を実践されているとのことでした。

 オーストラリアの大学は2学期制ですが、学部4年生の1学期に、S先生が教育学部の学生を生徒とみなし、実際に primary school や secondary school で教えるように integrated studies を実践します。要するに模擬授業を行うことで、実際に学校現場で子供たちがどのように学ぶのかを学生たちに経験させるわけですね。その際に例えば「移民」などのテーマを決め、英語や算数、芸術の授業などを行い、それぞれをどのようにテーマの「移民」に関連させるか、それぞれの授業がどのように州の教育スタンダードである VELS に対応しているかなどを学生に示し、授業運営のお手本を示すようにするのです。これは、学校現場で17年の教師経験をもつS先生だからこそできる授業だと思います。

 続いて2学期には、その経験をもとに学生たちが自らカリキュラム開発を行い、授業計画を立て、さらにそれを教育実習という形で学校現場で実践します。授業のプランニングシートはS先生が用意したフォーマットがあり、Inquired Approach の各段階(※)に沿って計画を練ることができるように工夫されています。こうすることで、学生達が授業計画に必要な要素をもれなく取り入れられるわけですね。

 その計画をもとに、実際に学校で生徒に授業を行い、生徒の能力を伸ばすことが求められます。その際にどんな工夫をして生徒の能力を伸ばしたか(例えば思考ツールを応用するなど)、どのようにして生徒の能力を評価したか、そして実際に伸びたのかどうか、全てがその学生の評価に絡んできます。そして、S先生は常に学生がどのように教育実習を進めているかをフォローし、アドバイスを与えていきます。日本では教育実習は現場の先生が評価しておしまいな印象がありますが、S先生は自らが学生の教育実習に深くコミットし、学生を評価します。

 ※Inquired Approach は生徒の知識ではなく思考力を伸ばすアプローチであり、生徒が主体的に学習にコミットします。それには生徒が「課題を見つける」「調べる」「まとめる」「結論を導く」「行動する」「振り返る」といった段階が存在します。(これらの各ステップの詳細はモデルによって異なるようです)

 オーストラリアやフィンランドの教育を見ていて常々合理的だと感じるのは、子供がこれから生きていく社会を学校であらかじめ疑似体験させるところなのですが、教員養成でも同じように感じました。教師になる前に、教師が実際に行う業務を全て在学中に一度経験させてしまうわけです。日本のように2週間程度現場の先生のお手伝いをして終わってしまう教育実習ではなく、実際に教師になったときに求められるカリキュラム開発、その実行、生徒の評価、自らへのフィードバックというサイクルを全て経験できるのですね。なるほどそうすれば教師になって想定と異なった事態になるリスクも低いですし、教師になるモチベーションも湧くことでしょう。

 このしくみはある意味当然といえば当然ですね。教師として通用する人間を育てるためには、教師に求められる能力を全て網羅しなければならない。そして能力を全て網羅するためには、実際に教師を疑似体験してみればよい。非常に明快で、合理的なシステムだと思います。

 小学校や中学校でも、実際に社会に出たときに子供たちに求められるのは、テストの問題を解くことではありません。チームで課題に取り組み、その課題に対して解決策を考え、それを実践すること。これは恐らくビジネスでもポリティクスでもアカデミックでも共通するプロセスではないでしょうか。これをオーストラリアでは学校教育で疑似体験させていると解釈できると思います。

 日本の総合的学習は、「生きる力」という非常に抽象的でわかりにくいコンセプトのもとに導入されてしまいました。現場の教師からすれば、どのように授業を行えばよいかわからないという面もあるのではないでしょうか。大人になって社会に出てゆく子供たちに、実際に社会がどのように動いていて、そこでは何が求められるのかを知ってもらい、社会の一員となる意欲を持たせること。これが「生きる力」の具体的な解釈としてシェアできれば、日本の学校教育ももっと有意義になるのではないかと感じました。(注:この「生きる力」の解釈はあくまでも私の個人的見解です。)

 今日の訪問で、オーストラリアが教育の実践にあたって、そのために必要なリソース(例えば教員の質)を確保するための具体的なアクションをとっていることがよくわかりました。私たちも日本の教育像を探究するにあたって、まずは求められる人材や能力を定義し、その育成のために有効なストラテジーを考え、それを実現可能にするためのリソースを提供できるような具体的なアクションプランを練っていくことになると思います。

 学校視察も今日でおしまいです。明日は、これまでのまとめ作業を行うことになりそうです。


(written by R2)
タグ:教育視察
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2008年06月19日

R2、メルボルンをゆく! 〜日本語教育の巻〜

 今日は Warranwood Primary School の視察に行って来ました!小高い丘の上、住宅地の真ん中にあるあたり、昨日訪れた Greenhills と共通していました。この小学校では外国語教育の一環として日本語が教えられているということで、授業を見学してきました。

 (ビクトリア州のスタンダードを定める VELS では小学校からの LOTE ( (Language Other Than English) ) 教育を必修としています。どの言語を学ぶかは学校の自由ですが、日本でも小学校から英語を導入する動きがあるので、参考になるかもしれませんね。)

小学校の正面入り口。芝生のベンチが落ち着いていいですね〜。
小学校の正面入り口。
芝生のベンチが落ち着いていいですね〜。

中庭で遊ぶ子供たち。いろんな年代の子供たちが入り乱れて遊んでいて、微笑ましいです。
中庭で遊ぶ子供たち。
いろんな年代の子供たちが入り乱れて遊んでいて、微笑ましいです。

運動場が充実しているこの学校。芝のでっかいグラウンドのほかに、バスケットコートやテニスコートが!休み時間終了のチャイムぎりぎりまで必死に遊んでいました。
運動場が充実しているこの学校。
芝のでっかいグラウンドのほかに、バスケットコートやテニスコートが!
休み時間終了のチャイムぎりぎりまで必死に遊んでいました。


 日本語クラスではPrepクラス(準備学級のこと。オーストラリアでは1年生に上がるまえ、幼稚園の年長段階から小学校に通うのが一般的です)を対象に、折り紙や塗り絵、“Walking around the room” “Chicken, chicken, goose” などのゲームを通じて色を覚える授業を見学しました。どれも、子供たちが楽しみながら色を覚えられるように工夫されていて、見ていてとても感心しました。まさにアイディアの宝庫ですね。

 ※Walking around the room・・・「だるまさんが転んだ」のように、リズムに合わせて教室を歩き回り、リズムが止むと動きを止めます。そこで先生が “Point to aka!” と指示すると、生徒が一斉に教室内の赤いものを指差します。

 ※Chicken, chicken, goose・・・生徒が輪になって座り、一人の鬼がその輪のまわりを歩きながら一人ずつの肩を叩いて “Chicken” とか “Goose” と言うのですが、”Goose” と言われた人は立ち上がって鬼を追いかけなければなりません。鬼が一周して空いている席に座るまでに追いついて、タッチできればセーフ。間に合わなければその人が新たな鬼となります。授業ではこれを “aka, aka, murasaki” といった感じで行っていました。

 生徒達は程度の差こそあれ、みんな先生のほうを向いて、課題に取り組んでいました。今年の5月からこの学校で日本語を教えているという大学生のツトムさんも、「子供たちはとても素直です」と仰っていました。

 また、先生方の指導の仕方がとても上手だと思いました。決して生徒を否定することなく、生徒がきちんとマナーを守ったらそのことを褒めるのを忘れません。例えばざわついているクラスに対して “Thank you for your good manner!” と言ってマナーを守ることを気づかせ(ここで生徒を否定するでもなく、指示するでもないところがすごいですね→注)、生徒達が静かになったら “What a good class this is!” と褒めたたえます。あるいは、態度のよい子供から順番に次のアクティビティに移れるようにして、騒いでいる子も周りが次々と次の活動に移るのを見て静かになる、というような工夫もこらしています。

 (注:「○○しなさい」という注意を与えることももちろん多いです。決して指示をしない、ということではありません。)

 他にも3,4年生の Performing Art の授業を見学しましたが、こちらでは生徒達が劇を演じながら地球環境の大切さについて、セリフや振り付けを通じて学んでいました。また、授業のテーマをそもそも生徒に決めさせるような授業も行っているそうです(とはいえ、science といった大まかな方向は与えられていますが)。このように、オーストラリアの小学校ではあの手この手で子供の関心を引き出そうとしています。

 特に5,6年生から中学生にかけては、学習から関心が離れやすい時期であるという研究調査があるようで、先生達は生徒のモチベーションアップに必死のようです。

 (オーストラリアではこのようにデータに基づいた研究調査の結果を常に現場にフィードバックしています。日本のようにアカデミックと現場の乖離があったり、数値化を気にするあまり適切な評価を下せないという事態が起こらないようになっているのですね。)

 そして小学生のうちに自ら学ぶ意欲、習慣を身につけさせることで、中学生以降は教科ベースの教育に身をおくことになりながらも、生徒は主体的に勉強に取り組めるようになるそうです。三つ子の魂百まで。大げさかもしれませんが、生涯学習の姿勢はとにかく早いうちに身に着けてしまわないと、知識はいつでも増やしたり、アクセスしたりできるようになりますが、学ぶ態度はなかなか一朝一夕に身につくものではありません。

 今日も学び多き一日となりました。遠い異国の地で頑張っている日本人の先生方を応援しつつ、日本でもどうすれば生徒に常に学び続けてもらえるようになるか、考えていきたいと思います。

最後に、インターンのツトムさんとパシャリ!これからも頑張ってくださいね〜。
最後に、インターンのツトムさんとパシャリ!
これからも頑張ってくださいね〜。

玄関にあったこの大きな看板は、ツトムさん製作だそうです。オーストラリアと日本、いつまでも仲良くしたいですね!
玄関にあったこの大きな看板は、ツトムさん製作だそうです。
オーストラリアと日本、いつまでも仲良くしたいですね!


(written by R2)
タグ:教育視察
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2008年06月18日

R2、メルボルンをゆく! 〜教科横断型学習の巻〜

 今日はメルボルンから電車で30分ほどのところにある、Greenhills Primary School の視察に行って来ました!小高い丘の上、住宅地の真ん中にある小学校です。今回は主に5,6年生の授業を見学させていただきました。

学校の入り口。確かに、緑多き丘の上だ・・・。今日はどんな子供たちと出会えるかな?
学校の入り口。
確かに、緑多き丘の上だ・・・。
今日はどんな子供たちと出会えるかな?

校舎。どこが職員室かわからず困っていたら、親切な先生が案内してくれました。
校舎。
どこが職員室かわからず困っていたら、親切な先生が案内してくれました。

遊具。どこの学校でも屋根があるのは紫外線対策だろうか。
遊具。
どこの学校でも屋根があるのは紫外線対策だろうか。


 外国人って私たち日本人より大きいという認識があったのですが(そして事実、先生方は我々よりも大きいのですが)、5,6年生の子供たちは日本の子供たちより小さいのでは?という印象をもちました。顔立ちもまだ幼いという印象でしょうか。日本と違って受験のプレッシャーにさらされていないためかもしれません。

 今日見学させていただいたのはいわゆる “Integrated Studies” と呼ばれる教科横断型の学習。テーマはクラスによって「自然災害(火山や津波)」、「映画を撮ろう!」などさまざまでした。いずれの授業でもグループ学習がメインであり、生徒達はワークシートに取り組んだり、インターネットで情報収集を行ったりしていました。「自然災害」ではウェブベースのソフトを使って、竜巻の強さと被害の大きさをシミュレーションする生徒がいたり、「映画を撮ろう」では映画のシナリオを考えたり登場キャラクターである妖精の羽を作ったりという場面を見ましたが、驚きなのはみんながふざけ合いがありながらもきちんと課題に取り組んでいる点です。

 こちらの教室では生徒達は自分専用の机を持っているわけではなく、グループ机を使ってグループ学習を行うのですが、それぞれのグループが取り組んでいる課題がまったく異なりますした。また、生徒によっては床に寝そべっていたりと、とにかく生徒がばらばらに行動しています。それでいて、生徒は先生の統制化にあり、きちんと課題に取り組んでいるところがとても不思議です。いつもはグループで活動しているだけあってざわついているのですが、先生が「静かにしなさい」と指示を出せばぴたっと静かになります。これが日本なら、多くの生徒が先生の言うことを聞かない気がするのですが・・・。

 その理由の1つに、授業のエンターテイメント性が高いことがあげられるのかもしれません。生徒に興味をもって取り組んでもらうために、先生はこれでもかと生徒が楽しめるような工夫を考えています。

 ある算数の授業ではパソコンでゲームを楽しみながら小数や四則演算を学べるようになっていました。このゲームが、生徒個人で楽しむものではなくて電子黒板上に投影し、複数の生徒がチームで学べるようになっている点がポイントです。もちろん個人で取り組むようなゲームもありますが、こちらは成績が上がるとポイントがもらえて、そのポイントをゲーム内通貨として自分のアバターの着せ替えができるという、日本のモバゲーのようなものもありました。ネット上で、他国の生徒との対戦も可能でした。

 あるいは、「サバイバー」というゲームも盛んでした。クラス内の生徒を4チーム程度に分けて、それぞれが課題に取り組んで成果を競い、ポイントを稼ぐというしくみで、アメリカのテレビ番組になぞらえたものです。優勝したチームは1週間教室の掃除を免除されることもあるとか。

 ちなみにこれらのゲームのようなツールを見つけてくるのは先生の仕事であり、先生は常にアンテナを張り巡らせる必要があります。

 今日見学した以外にも、他の学期には「ひよこを育てる」「Earn & Learn(金銭キャリア教育)」「宇宙」といったテーマの授業が行われるそうですが、これらのテーマはどのように決まるのでしょうか。実は訪問前、私たちは何らかの社会的な要請を背景に、授業のテーマを決めているのだと考えていました。例えば「Earn & Learn」ではクラスを1つの国家とみなし、生徒が自分たちの職業を決め、仮想のビジネスゲームを行うことで政治や経済のしくみ、社会に貢献することでリターンを得るしくみなどを理解させるのですが、これは「日本のようにNEETが増えたり、お金の使い方がわからない大人が増えている」といった具体的な問題意識から出発していると考えていたのです。実際には社会問題を意識したわけではなく、生徒に楽しみながら算数の能力や市民性を身につけさせるための先生方の工夫の賜物であったようです。

 このように考えると、オーストラリアの教育における職務分掌はハッキリしています。「何を学ぶか(What)」はVELS(前回記事参照)で定められている通り、行政が決める。それを「どのように実践するか(How)」に先生方は集中しており、だからこそ充実した授業を行うことができるのでしょう。先生方はVELSに定められた能力を生徒に効果的に身につけさせるための手段として、テーマ設定を行っているのです。逆に、オーストラリア社会で必要となる能力やテーマはVELSで網羅されている必要があり、それが実際に満たされているからこそこのシステムは機能しているのでしょう。

 とはいえ、VELSの定める能力を網羅するようにテーマを決め、カリキュラムを考え、教材を開発するのは並大抵のことではありません。日本では決まった教科書がありますが、こちらでは教科書も自ら作るのであり、先生は自分でそのテーマについて徹底的に勉強し、そのうえで授業計画を練る必要があります。もちろんこれは先生一人ではなく、学年の教員団でチームを組んで行うようですが、ここでも授業計画を徹底的に具体化して「授業の目標」「目標の達成方法(タイムテーブル)」「評価項目」「評価方法」まで落とし込みます。本当に、ビジネスマンも顔負けの企画書です。

 先生の一人に「オーストラリアの教育システムに何か不満がありますか?」と聞いてみたところ、「強いてあげれば忙しくて時間がないところ」とのことでした。制度そのものへの不満はないようですし、自分自身の仕事にやりがいを感じている先生が多いようです。これは学校現場への権限委譲が大きいというオーストラリアの教育制度が奏功した結果と考えていいのではないでしょうか。何か不満があっても、自分たちの裁量で学校現場から教育のあり方を変えていくことができるのです(もちろん、そのために学校の先生方は忙しくもなるのでしょうけれど)。

 私たちが日本の教育像を考えるにあたって、オーストラリア流の教育現場への権限委譲を考えるならば、先生方に現場に集中していただけるように日本社会で求められる能力(What)を洗い出しておく必要があるのかもしれません。これからの日本社会で身に着けておくべき能力とは何でしょうか?この記事を読まれた皆さんにも、少し考えてみていただけると幸いです。

最後にアテンドの佐藤さんとツーショット!だいぶ僕もオーストラリアになじんできました。
最後にアテンドの佐藤さんとツーショット!
だいぶボクもオーストラリアになじんできました。


(written by R2)
タグ:教育視察
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2008年06月17日

R2、メルボルンをゆく! 〜ビクトリア流学校経営の巻〜

 今日はメルボルン郊外の St. Albans East Primary School に行って来ました!移民の多い地区にあるこの学校に通う生徒の母語は、何と30以上。聴覚障害を持つ子供たちも通っており、実に多様なバックグラウンドの生徒達がいます。今回は Ann-Marie Kliman 校長先生にお話をうかがうことができました。

どこの学校も芝の運動場があります。遊具スペースの足元は木屑で覆われ、安全に配慮されていますね。
どこの学校も芝の運動場があります。
遊具スペースの足元は木屑で覆われ、安全に配慮されていますね。

校舎とバスケットコート。今日の体育は体育館で行われていました。紫外線対策?
校舎とバスケットコート。
今日の体育は体育館で行われていました。
紫外線対策?


 校長先生とお話が出来るということで、私たちはビクトリア州の学校経営についてうかがったのですが、もう何もかもが日本と違っていて、驚くばかりです。まずビクトリア州には VELS(Victorian Essential Learning Standards) と呼ばれる州政府の定める教育の統一水準があり、それを実際に見せていただいたのですが、レベル1〜4(義務教育でレベル6まで、小学校では4まで)のそれぞれが数十ページの冊子になっていて、それぞれのレベルで身につけるべき能力、指導方針が細かく書かれています。とはいえ、これらはあくまでも「何を(What)」に過ぎません。

 それを「どのように(How)」実行するかを定めるのが、各学校で作るチャーターと呼ばれる中期経営計画です。3ヵ年計画で「学校の追及する価値」「3年間の各領域での目標」「その達成方法」「その効果測定の方法・評価基準」を具体的に、がっちり定めています。さらにそれを反映して「Annual Implementation Plan 2008」(年間アクションプラン)を策定しますが、これもまた項目別に「年間の目標」「達成方法」「その目標達成を示す成果」を詳細に記述し、それぞれの「達成方法」をさらに分解して「何を(What)」「どのように(How)」「誰が(Who)」「いつ(When)」実行して、期待される「成果」を決めています。

 さらにさらに、これらに整合するように校長をはじめ、教師もまたそれぞれの成長のための年間の「目標」「達成方法」「期待する成果」を1年のはじめに詳細なレポートにまとめ、半年に1回その目標が達成されているかの評価を行い、フィードバックしていきます。先生は自己の成長を図るために外部の研修を積極的に活用し、その成果を学校に持ち帰ってシェアすることを求められます(その費用は学校が負担します)。

 もう、民間企業もビックリの徹底したタスクマネジメントっぷりですね。学校のスタッフ全員が、「国の目標」「州の目標」「学校の目標」を認識し、それに整合する自分の目標を設定し、その達成を評価するプロセスは、学校の透明性を確保し、先生の意識を統一することができるという点で画期的だと思います。特にトップにいる校長先生は全ての先生の目標設定に関与し、その評価を行い、自らもまたそのロールモデルとなりながら、学校経営を行わなければなりません。

 「そんなスキルどこで身につけるんですか?」と聞くと、やはり政府や州が行う研修が充実しているとのこと。また、近隣の学校との情報共有も盛んで、若手の校長にはベテランの校長がメンターについたりするそうです。州の実施するリーダーシップ研修のプログラムを拝見しましたが、「リーダー的教員向け」「副校長向け」「若手校長向け」「校長向け」といったさまざまなレベルに対応した多様な研修が用意されていました。海外の学校の視察も州の負担で行ったりするようです。

 私たちは「日本の教育は十分な評価がなされていないのではないか」という問題意識を持っています。学校教育と社会の断絶が叫ばれて久しい中で、ではいったいその原因は何なのか、そもそも教育の理念が間違っているのか、理念が正しくともそれが実現していないのか。本当に学校教育は、目指す人材を育てられているのか。育てられていないならばどのような改善が必要か。それを明らかにするは「評価」を教育に導入する必要があります。そしてその評価をもとに、学校教育にフィードバックを与えていく必要があると思うのです。

 今回、評価のあり方の1つの答えをオーストラリアで見ることができたように思います。評価は目標とその達成を図る指標があって初めて意味をもちます。それこそがチャーターに代表される学校経営計画なのですね。そしてオーストラリアの学校では定量的に自分たちの教育を評価し、数値目標を設定することで経営を行っています。もちろん教育というのは何もかもが数値化できる性質のものではありません。しかしそれでも、教育の成果を客観的に分析し、それを将来に生かすために成果の定量化を図るという動きがこちらにはあります。これは大いに参考になりました。

 経営の話が中心になってしまいました。校長先生に実際に校内も案内してもらったのですが、驚いたのが子供たちが私たちのような部外者にまったく驚いていなかったこと、校長先生が子供たち一人ひとりの名前を覚えていたこと、聴覚障害や知能障害を持つ子供やアジア系移民の子供たちが入り乱れて一緒に仲良く勉強していたことなど、全てが新鮮でした。また、「6つの帽子」をはじめとした思考のツールなど、教育学の成果を存分に生かし、しかもそれらの思考のコツを教室に明記して張り出して生徒に意識させるようにしているなど、非常にシステマティックです。

 オーストラリアの教育は日本のような知識詰め込み型ではなく、生徒一人ひとりの主体的な学びを尊重していますが、教育の方法そのものは非常にシステマティックであるという印象を受けました。これこそ、生徒の個性を伸ばし、多様な学びのあり方を認めながらも彼らが共通のスタンダードを満たす能力を身につけられるようにする秘訣ではないでしょうか。そのアプローチは学校経営においても変わりません。学校の多様性は、共通のスタンダードを達成するための手段としての経営方針に表れているのです。

 私たちの「教育像の探究」はその実行方法や効果測定方法を含め、実現可能なものを目指しています。もちろん日本とは事情の異なるところも多いですが、オーストラリアのモデルは大いに参考にできそうです。

最後にKliman校長とツーショット!いやぁ、照れるなぁ。
最後にKliman校長とツーショット!
いやぁ、照れるなぁ。

さらに2日間案内してくださった阿部さんともツーショット!本当にお世話になりました〜。
さらに2日間案内してくださった阿部さんともツーショット!
ボクって人気者。
本当にお世話になりました〜。


(written by R2)
タグ:教育視察
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2008年06月16日

R2、メルボルンをゆく! 〜環境教育の巻〜

 今日は、メルボルン郊外にある Williamstown High School を視察して来ました。緑豊かな港町の、まさに海ぎわにある素敵なハイスクールでした!

 オーストラリアでは義務教育は10年間です。そのうち最初の6年間が primary school、7年目から12年目が high school になりますが、第11、12学年は大学進学者向けの受験コースなので、進学を希望しない生徒は第10学年で学校を卒業することになります。今回訪れたハイスクールも、10年生までと11、12年生の2つのキャンパスがあり、実質独立しています。私達は10年生までが学ぶキャンパスを訪れました。

Wiliamstownは港町です。お洒落な町並ですね〜。
Wiliamstownは港町です。
お洒落な町並ですね〜。


 Williamstown High School の大きな特徴は、近隣の3つの小学校と連携して Environmental Neighbourhood Cluster (ENC) を形成して環境教育を実践している点です。弊社でも教育像の探究にあたって、これから生徒が生きていく世界を持続させるために、地球環境についての教育は欠かせない要素となるのではないかと考えており、ぜひ参考にさせていただこうと考えたのでした。

 ハイスクールのすぐ隣には保護区となっている湿地や湾があり、貴重な動物種や植物種がみられ、この湿地の生態系の保全に学校をあげて取り組んでいます。私達も実際にこの湿地まで出かけてみましたが、静かで透き通った海が美しく、多くの在来種の植物や海鳥の宝庫でした。これだけ美しい光景が身近にあれば、それを守りたいと思うのも納得です。

 また、オーストラリアはここ10年、気候変動による雨量減少のために慢性的な水不足に襲われています。スプリンクラーの使用は禁止され、庭に水をまくことの出来る曜日も指定されています。飲料水に困るほどではないようですが、各家庭で雨水の貯水タンクを購入したり、シャワーを浴びる際はバケツに余分な水をためたりと、実生活に大きな影響が出ており、ENCでも実際に水の問題について生徒に解決策を考えさせ、実践させているようです。環境教育の背景にはこのように切実な日常生活における問題意識もあったようです。

 生徒たちは自ら課題を発見し、専門家のレクチャーやフィールドワークなどを通じて学習し、最終的には地域コミュニティに対して成果を発信して、地域を啓蒙することが求められます。ENCに参加する4つの学校は日ごろは個別に活動をしていますが、フィールドワークやイベントの際は(なかなか全校生徒が同時にというわけにはいかず、各校から代表数名を出してということになりますが)合同で参加します。イベントには学校が主催するものの他に、州や国が主催するカンファレンスなどもあり、生徒達は自らワークショップを企画・運営して地域の人たちに成果を紹介し、自分たちの活動の意義を再認識するチャンスを与えられます。

何と美しい海。いつまでもこんな美しい環境を守り続けたいものです。
何と美しい海。
いつまでもこんな美しい環境を守り続けたいものです。

生徒達がこの湿地に在来の植物を植えて育てているのです。
生徒達がこの湿地に在来の植物を植えて育てているのです。

生徒の手による water wise garden。水をあまり使わずに育てられるガーデンだとか。
生徒の手による water wise garden。
水をあまり使わずに育てられるガーデンだとか。

雨水をためる貯水タンク。それにしても、こんな学校に自分も通いたかったなぁ。
雨水をためる貯水タンク。
それにしても、こんな学校に自分も通いたかったなぁ。


 このENCを推進するにあたってのキーマンは、各学校や地域のエキスパート、メディア、保護者らとのネットワーキングを担うコーディネーターです。これは、日ごろ授業をもっている学校の先生には難しく、州の予算で専門のコーディネーターを雇用していたのですが、その予算が今年で終了するようで、来年以降各校でカリキュラムを続けることはできても、コミュニティベースの活動やイベントは続けるのが難しいのではないかということでした。どこの国でも、財源が大きなボトルネックとなるのは同じようです。何とか来年以降も予算がついて、この活動が維持されることを私達も願っているのですが・・・。

 さて、このような環境教育は日本でも実践が可能でしょうか。実際には、メルボルンでは@水不足という目に見えて生活に影響が出るレベルでの環境変化があり、環境問題に取り組む必要があるという社会的コンセンサスが生まれやすかった、A近くに美しい自然があって、それを守るモチベーションが生まれやすかった、という背景が大きいように思います。翻って、日本ではどうでしょう。食料やガソリンの値上げが問題になっていますが、何かが「不足している」という実感はまだあまりない中で、事態が緊迫しているという社会的コンセンサスが得られるでしょうか。また、東京などではAのように「守りたい」と思わせるような自然がみられなくなって久しいように思います。

 また、学校が地域を巻き込んでプロジェクトに取り組むためには、やはりコーディネーターの存在が必要になると思います。それには予算の裏づけも必要でしょう。ただ、この Williamstown High School の取り組みは先日のNew Education Expoで紹介されていた教育改革の延長にあると感じました。杉並区は「教育立区」を志して、学校と地域を結びつける学校支援本部の設置に乗り出していますが、これも予算の裏づけがあってこそ出来ることです。とはいえ、この学校支援本部同士が連携を始めれば、そのようなコーディネーターの役割も果たすことができるのかもしれません。三鷹市の中学校区を単位とする「学園制」も、ENCのコミュニティに相当しうるものだと思います。運用方法は国や社会が違えど、大枠ではそんなに変わらないのかもしれません。

 以上の議論を踏まえると、日本でも明確なモチベーションを社会が共有できれば、ENCのような取組は可能なのかもしれませんね。もっとも、何かが不足してからでは遅いというのが問題なのですけれど。

 ENCの取り組みが今後も続いて、その成果が明確になり、1つのロールモデルとなることを願いつつ、私たちも自分たちにできる環境教育を考えていきたいと思います。


(written by R2)
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2008年06月15日

R2、メルボルンをゆく! 〜到着の巻〜

 やってきました、メルボルン!オーストラリアはビクトリア州の州都、メルボルン。ここでは州をあげてあっと驚く?先進的な学校教育の取り組みを行っていると聞いて、特派員のR2D2がはるばる飛んでまいりました。(実際には国をあげて、ですがその取り組みは州によって、そして学校によって異なるのです)これより皆様にメルボルンの学校教育の様子を実況中継させていただきます。

 とはいっても、今日は初日でしかも日曜日。とりあえず、ホテルで落ち着きたいものです。空港に着いたのは午前8時過ぎだったのですが、入国審査、荷物の受け取りで長蛇の列が出来ており、空港を出たのは結局10時ごろでした・・・。同行した弊社代表は「ネパールでさえすっと審査を済ませられたのに、先進国のはずのオーストラリアでこんなに時間をとられるとは・・・」とぼやいていました。(オーストラリアでは在来種が外来種によって絶滅の危機に瀕しているため、入国審査はかなり厳しいようです)

 空港からはSky Busというエアポートバスに乗って市内まで約30分。サザンクロス駅という名実共にかっこいい駅に着き、そこから徒歩3分で我々の宿に着きました。Batman’s Hillというビジネスホテル。ここだけの話、格安であることと空港からのアクセスがよいという2点だけで決めてしまったのですが、部屋もきれいだしなかなかよいところです。

ホテルでくつろぎのひと時。
長旅の後はホテルでくつろぎのひと時。
落ち着きますなぁ。


サザンクロス駅から、列車を見下ろす。(見上げてるけど・・・)ヨーロッパ風の駅ですね。
サザンクロス駅から、列車を見下ろす。
(見上げてるけど・・・)
ヨーロッパ風の駅ですね。


見上げる列車@サザンクロス駅。いってらっしゃ〜い。
見上げる列車@サザンクロス駅。
いってらっしゃ〜い。


列車を見送るワタクシ、R2D2。いやぁ、感慨深いです。
列車を見送るワタクシ、R2D2。
いやぁ、感慨深いです。


 そして、早速町を散策してみました。日曜日のダウンタウンはあまり人がいなくて、思ったほど活気がありませんでした(哀愁が漂ってさえいました・・・そういうの、田舎出身の自分は大好きですが)。とはいえ、近代的な高層ビルと教会などの昔ながらの建築が混在している町並を、人ごみにさえぎられずに眺めることができたのでよかったかもしれせんね。

 町を歩いていると、オーストラリアが移民国家、多文化国家であることを思い知らされます。アジア系の人もたくさんみかけました。お店の店員もいろんな国の人がいました。さらに言えば日本人の私たちはオーストラリア人もアメリカ人もヨーロッパ人も見分けがつかないので、実際にはさらにいろんな国の人が入り乱れていたのでしょう。

 あとは、セブンイレブンの多さにビックリです・・・。1つの店から出ると、ちゃんと次のセブンが視界に入るようになっています。交差店に立つと、どの方向にもセブンイレブンが視界に入るのではないかというくらい。どこも24時間営業しているようですよ。

 そして、物価が高いですね。だいたい、日本の1.5〜2倍くらいを想定していいと思います。マクドナルドに入ったら、100円マックのはずのハンバーガーやコーヒーがおよそ200円でした。水のペットボトルも600ml(500mlではありません)で300円くらい。なぜか、1リットルとか2リットルのほうが同じ店なのに600mlより安かったりするというミステリーも存在しました。ちなみにオーストラリアは水不足が深刻なようで、フードコートに入っても水は買わないと出てきません。

 食事は予想通りジャンクフードメイン。これは、1週間でメタボを体現できそうです。気をつけなければ・・・。日本食の素晴らしさをスタッフ一同改めて実感していました。

今日のランチはフードコートで中華!ちなみに寿司や、お好み焼きもどきも売っていましたよ〜。
今日のランチはフードコートで中華!
ちなみに寿司や、お好み焼きもどきも売っていましたよ〜。


 そんなこんなで、明日からは学校視察の始まりです。期待していてくださいね〜。


(written by R2)
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2008年06月13日

オーストラリアに行きたいか!

 今回はオーストラリアの教育事情についてご紹介します。国際学力テストであるPISAの上位国であり、地方自治体や学校現場への教育に関する権限委譲が進んでいるという点でフィンランドとも共通項がたくさんあるようです。

 オーストラリアでは10年に一度、国家全体で目指すべき教育目標、すなわち育成すべき人材像を示します(現在はアデレード宣言がこれにあたります)。この国家教育目標を受け、各州政府の教育省がそれぞれ独自のカリキュラムを打ち出します。このため教育制度は州政府によって異なることになります。さらに、州政府は「何を教えるか(What)」の共通目標は示しますが、「どう教えるか(How)」は現場の教師にゆだねられています。校長には大きな裁量権が与えられ、「自律的学校経営」が広く普及しています。

 また、オーストラリアの教育の特徴はなんと言っても日本の総合的学習に相当する "Integrated Studies" です。これは教科横断型の学習ということですが、そもそもビクトリア州では学校教育は「科目ベース」ではなく「能力ベース」で考えられています。あくまでもその授業を通じてどのような能力が身につくか、が重要なのですね。

 "Integrated Studies" ではテーマを例えば「環境」と決めたら、その学期を通じて学校中で「環境」に取り組むことになります。「英語」「算数」「理科」「社会」といった科目も「環境」に関連づけて編成され、それぞれの科目では具体的にどの能力が養成されるのか常に対応付けられています。学校の先生は常に、自分の授業を通じて身につく能力にもれがないかをチェックしているわけです。それぞれの科目では探究学習(Inquiry Learning)を基本とし、調べ学習やフィールドワーク、プレゼンテーションなどに生徒に主体的に取り組ませており、いわゆる講座制の座学はほとんどありません。

 (ただし、必ず身に着ける必要のある知識でどうしてもテーマの「環境」と関連付けることに無理がある場合は独立して授業を行う場合もあるようです。)

 これらの動きの背景を、オーストラリア社会の特徴を踏まえながら整理してみましょう。オーストラリアもかつては座学で知識詰め込み型の授業を行っていたとのことですが、1970年代以降の経済不況を背景とした経済界の要請を受け、21世紀において世界に通用する社会を築くための教育改革に取り組むことになりました。そこで、学力と労働力の向上が至上命題となったのです。

 オーストラリアは移民社会、多文化社会であることを強みとしつつ、一方では国家としての統一性ももたなければなりません。そのため、国としての統一目標はアデレード宣言として定める一方で、それぞれの地域に合った適切な教育を実施するため、教育の権限を現場に大幅移譲した「自律的学校経営」のしくみが導入されたのです。そして、教育の目標およびそれを測る指標としての共通基準は国、あるいは各州政府が作り、それらの基準を「どのように」達成するかの裁量権は学校に与えられました。

 その代わり、各学校にはアカウンタビリティ(説明責任)が求められるようになりました。ビクトリア州では国の基準を達成するための具体的な方法を記述したチャーターと呼ばれる中期学校経営計画を策定し、毎年その計画が達成されているかを評価し、3年目にはそれまでの評価をフィードバックして新たなチャーターを作成します。そうすることで国の定める基準を達成しているかどうか、常に外部にその成果を公表することになります。評価を行う際は外部評価も実施しています。学校の裁量権の拡大は、このような説明責任を伴ったものなのです。

 各学校の経営計画や成果はその学校の獲得できる予算に直結するので、校長先生には相当のマネジメントスキルが求められます。聞くところによると校長先生は民間企業でも十分管理職として通用するはずだとか。

 さて、これらのオーストラリアの教育改革の成果はというと、その後の経済発展と、白豪主義社会から真の多文化共生への転換が図られているという点から一定の成果を挙げたと評価してよさそうです。一方で、多文化社会が抱える問題として、やはり国家としての統一感が薄れてきている部分もあるようで、20世紀の終わりになって政府がシチズンシップ教育を推進し始めました。これは「オーストラリア市民」としての自覚をもち、参加する市民を育てることを目標としています。

 また、最近の都市部ではだんだん学歴志向が高まり、受験競争が激しくなってきているそうです。もともとオーストラリアの大学進学率は20%程度で日本に比べるとあまり大学進学は一般的ではないようですが、進学志望者の1割程度が加熱する受験競争から鬱になっているといいます。これは、近年アジア系の移民が増えたためにアジアの学力観が急速に広まってきた結果であるようです。どのように評価するか難しいところですが、多文化社会、移民社会であるがゆえにさまざまな困難を抱えていることも事実のようです。

 個人的に興味深いと思うのは、オーストラリアの教育関係者の中には「日本の教育に学ぶべきだ」という意見もあるのだそうです。私たちは日本の教育は知識偏重で、思考力や主体性を伸ばすオーストラリアの教育に学びたいと考えているわけですが、逆にオーストラリアの先生方は日本の知識詰め込み型教育から学ぶところが多いと考えているのだとか。日本の数学力や、経済成長が評価されているようですが、お互いに自分にないものを求めるあたり、結局はバランスの問題のように思いますね。

 以上を見てくると、オーストラリアの教育から学ぶことは多々ある一方、前提としている社会が日本と異なることもわかってきました。したがって、単純に日本で模倣するというわけにもいかないでしょう。オーストラリアの教育改革の背景には、経済問題と多文化社会というコンテキストがありました。特に、学校経営がまるで民間企業のように経営計画を作って公表し、それを評価している点。また現場でも教師が、常に自分の授業で身につく能力を国や州の目標と対応付けている点。これらはとても合理的で、何だか民間企業を想起させますが、これらの取り組みもまた多文化社会でそれぞれが異なる背景や考え方をもっているために、共通化する方法として考え出された面もあるようです。

 また、教育改革を行うにあたっても、オーストラリアでは「自律的学校経営」のしくみの導入と教員研修の実施、つまり現場の教師の変革で達成したようですが、果たして日本でもこれらの取り組みでうまくいくでしょうか。弊社で探求する教育像も、実現可能でなければ意味がありません。具体的なアクションプランも念頭において考えていく必要があると考えています。

 今週末から1週間、実際にオーストラリアのビクトリア州に、学校視察に行ってきます。現場からブログを更新していく予定なので、ご期待ください。

 ※以下、参考文献





(written by tomoya)
タグ:教育視察
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2008年06月12日

New Education Expo 2008 地域の教育力の再生の巻

 土曜日の朝一番のセミナーに出てきました。講師の先生はお二人いらっしゃって、そのうちのお一人の杉並区の教育長である井出隆安先生が教育改革について語られるということで、おそらく杉並区立和田中学校の話題が出るだろうと予測しての参加でした。そしてもう1人の慶応大学の金子郁容先生は、後から気付きましたが『チェンジメーカー 社会企業家が世の中を変える』の解説を書かれている方でした。そしてテーマはずばり、「地域の教育力の再生」。

 お二人の先生方によれば教育改革を実現するにはなるべく現場に権限を移す必要があるとのこと。国は予算を投資することに集中し、実際の施策は自治体が戦略を立て、実行するという分業が必要であるといいます。(フィンランドやオーストラリアの教育の勉強をしていると、このあたりをすっと受け入れることができます。)

 しかしながら、日本では教育改革ははじめにトップダウンで教育委員会がしくみを整備しなければ進まない(現場からは実行しづらい)傾向にあります。まずしくみを作ってから、現場へと権限委譲するというのが順序であり、今の杉並区はまさに現場への権限委譲フェーズにある。それゆえ一時メディアをにぎわせた和田中の夜スペの導入も、杉並区は現場の声を尊重して賛同したのだそうです。

 さて、セミナーでは杉並区のほかにも三鷹市、京都市が地域の力を生かした教育改革の成功例として紹介されていましたが、ここでは杉並区にフォーカスして内容をご紹介します。基本的に、和田中のモデルをさらに区全体に拡大するという印象であり、和田中の取り組みは地域の教育力の再生に一定の成果をあげたという評価のようでした。

 杉並区は井出先生が教育長になられてから、「いい町はいい学校をつくり、学校づくりは町づくりとなる」という仮説のもと、「教育立区」を目指しています。そのために4つの施策を進めてきました。

 第一に教員の独自養成および任用です。区費で独自に教員を採用しているということですね。そして教員養成学校として平成17年に師範館を設立しました。すでに、卒業生が数十人単位で杉並区の学校で活躍しています。

 第二に30人学級の展開です。これは、区費教員の採用によって教師を学校に加配することで実現しています。

 第三に学校経営の改善です。具体的には、和田中学校の藤原先生のような民間からの校長の採用。そして副校長を各校に教務担当と経営担当の合計二人を配置するという内容です。民間校長については藤原先生が著書で大いに語っていらっしゃいますが、経営担当の副校長もまた、教員プロパーではなく外部の経験者を採用する方針のようです。

 そして第四に地域運営学校の普及です。杉並区では平成22年までに区内の全校に学校支援本部(和田中の地域本部に相当)の設置を目指しており、これまでに7校を地域運営学校に認定しているそうです。そのために急務なのは学校支援本部の中核となる、地域側のリーダーである学校教育コーディネーターの養成であり、そのような人材育成のほかに、土曜日学校運営、放課後居場所事業、PTA研修といった事業をNPO法人であるスクールアドバイスネットワークへ委託しています。

 杉並区では現在まさに、これらの4本の改革が進行中であり、その成果は今後の日本の教育の行方を占う試金石となりそうです。和田中では一定の成果をあげた(と考えられている)「民間校長」「地域支援本部を核とした地域の再生」ですが、はたして区全体で通用するものなのか、大変興味があります。(ただし、杉並区は教育予算が他の地域に比べ潤沢であることに注意しなければなりません。杉並区で成功したとしても、そのまま他の区にも移植可能かどうかは定かではないといえるでしょう。)

 どちらが先かはわかりませんが、「いい町はいい学校をつくり、学校づくりは町づくりとなる」という、「町(地域)」と「学校」が密接に連携してプラスのサイクルを生み出すというあり方は、私個人としても大いに自分の模索する「教育像」に求められると考えており、杉並区の教育改革からは目が離せません。


(written by tomoya)
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New Education Expo 2008 高校改革の巻

 さて、荒瀬先生の講演です。演題は「高校改革」。おおむね、『奇跡と呼ばれた学校』で拝読した内容でしたが、いやはや、荒瀬先生は本当に話上手でいらっしゃいました。そして、「言語力」の大切さを説いていらっしゃるだけあって、「言語力」がすごい。教育の難解なテーマを、わかりやすく簡潔なことばでスパッと表現されていました。まさに「ワンフレーズ校長」。

 その荒瀬先生のこれまた明快な整理によると、堀川では「二兎を追う」「三つの約束」「四つの力」を提供することを約束しています。「二兎を追う」とは「よく遊び、よく学べ」とう生徒の志に関するもの。「三つの約束」とは学校が生徒にとって「学びの場である」「小さな社会である」「楽しいところである」という学校が生徒に提供する環境に関するもの。そして「四つの力」とは「受け取る力」、「考える力」、「判断する力」、「表現する力」という生徒が学校生活を通じて身につけていく能力に関するものです。

 「四つの力」や学力関係のことは、先の記事『奇跡と呼ばれた学校』で触れましたので、ここでは「三つの約束」にフォーカスしようと思います。なぜなら、これこそ「学校がいかなる場であるべきか」「学校は生徒に何を与えるべきか」という重要なテーマに関係すると思うからです。

 まず1つ目の約束は学校は「学びの場」であること。これはつまり、「生徒には何かが欠けている。その足りないものを満たす場である」ということです。単なる学力ということではなく、広く生徒が「育つ」(先生が「育てる」ではありません)場であるということですね。そして実はここがポイントですが、生徒はここで「学べば学ぶほど足りないことが出てくる」という経験を積みます。「足りないから学ぶ」のももちろんですが、「学ぶことで初めて足りないことを知る」という循環があるのです。これが絶えず生徒にとってのモチベーションになり、生徒は「自ら学び続ける」ことを「学ぶ」というわけです。

 2つ目の約束は学校は「小さな社会」であること。普通科である堀川高校を卒業しても、生徒たちは社会で役立つような専門的な知識や技能は身に付かないと荒瀬校長は言います。これは農業高校や工業高校と比較すれば顕著です。そこで、代わりに堀川は「段取り力」を生徒が身につける機会を提供するのだそうです。つまり、自らが修学旅行や授業の運営に企画段階からかかわっていくチャンスを与えるのですね。そしてまた、その機会を通じて挫折を味わい、社会の「必ずしも思い通りにならない」側面もまた、知ることができるのだそうです。

 (ところで、私の学校でも生徒会や文化祭スタッフといったものがありました。堀川ではそれよりも広く、生徒が「舞台裏」を経験するしかけを用意していますが、「段取り力を身につけてほしい」という明確な目的意識を学校がもっていること自体が、大きな差異を生んでいそうな気がしますね。)

 そして3つ目の約束は学校は「楽しいところ」であること。ただし、待っていては楽しいことは起こらない。与えられるのではなく、参加する楽しさを生徒に知ってもらいたい。自ら主体的に活動し、周囲を盛り上げていく経験を積んでもらいたい。そのとき、学校は生徒を監視するのではなく温かく見守るだろう。そういうメッセージがこもっているそうです。

 これら「3つの約束」に共通するのは、「生徒にチャンスを与える場としての学校」です。あえてすべては与えない。ただし、チャンスは与える。そうすることで生徒が自発的に参加し、さらにモチベーションを高めていく。ところが、と荒瀬先生はここで注意をはさみます。生徒はそれぞれ千差万別。それぞれに合わせたものを与えていかなければならない。だからこそ教育はいつまでたっても、「人が人を教育する」という原則から外れることはないのです。これは決してシステマチックにできることではないのですね。

 そして荒瀬先生が特に強調していらっしゃったのが「言語力」です。あえて「コミュニケーション力」と言わないのは、後者が最近もてはやされている、「空気を読む」力であり、周囲の目をうかがってうまく調整していく、昔ながらの日本社会で求められてきた能力(それが若者の間で衰えてきたといわれて久しいですね)であるのに対して、前者は「それぞれの場面で最適な表現・行動を起こせる」力であるという違いを意識してのことだそうです。

 「国語」「数学」は広い意味での「言語」であると私も最近考えるようになりました。思考というのは抽象的なものであり、それを可能にするのが個別具体的なものを抽象化する「言語」です。受け取った具象を抽象化して思考し、その結果をアウトプットする。それをまた相手が受け取って、自分の中でそれを具象化することにつなげる。これがコミュニケーションであるとすれば、その抽象化の際の共通のプロトコルというか、ルールみたいなものが「国語」「数学」の力であり、「言語」なのでしょう。「言語力」は明確な思考をつかさどるのであり、単なる「コミュニケーション力」は感じ取るというあいまいな性質があるように思います。もちろん後者も大切ですが、比較して「言語力」はかねてより日本では注目も重視もされずにきたような印象があります。

 (なお、オーストラリアでも「国語」「算数」を process subject、 つまり何かを達成する、あるいは表現するための手段と位置付け、内容そのものが重要である「理科」や「社会」を contents subject と呼んで区別しているようです。)

 弊社も「教育像」を探求するにあたって「学校は何を生徒に与え、何を与えないか」を考えなければならないと考えています。ここで含蓄ある荒瀬先生のフレーズを借用すると、「教育とは内発を促す外発である」、そして「あえて与えない」。「子供は育てたように育つ、知らない子供に罪はない」。とても深いです。これらの言葉の意味を理解し、具現化することができれば一歩、求める「教育像」に近づけるような気がしますね。

 6月末に実際に堀川高校を視察してくる予定です。乞うご期待。


(written by tomoya)
posted by ideamix at 00:22| 教育像の探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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