2008年04月21日

『校長先生になろう!』その2




 最後に、学校の機能の復活です。筆者によれば学校が担うのは「通常授業」「課外活動」「部活」「生徒会」などですが、中でも特に通常授業、つまり生徒の学力向上に注目しましょう。

 学力向上のためには授業の量および質の改善が求められます。

 授業の量の向上のために、和田中学校ではそれまで50分28コマであった1週間のカリキュラムを、45分32コマに編成しなおしました。また、英検や漢検を狙うコース、土曜日寺子屋の自習時間、朝の読書の時間など、積極的に学習に使える時間を増やしています。

 続いて、授業の質の向上です。これには、教師の質と、授業で教えるコンテンツの質の2つの要素があります。

 教師の質を向上させるため、まず教師を授業に集中させ、生徒と向き合う時間を増やすようにしました。具体的には、その1でも述べたように教員の本分ではないけれども、大切な役割を地域のナナメの関係に外注し、また校長自身がクレーム対応などの授業以外の雑務を引き受けるようにしました。

 また、教師のモチベーションを上げるため、職員会議を公開にして積極的に提案させ、また自ら目標を立てさせて評価させるなど、当事者意識を醸成するようにしました。

 授業のコンテンツは、和田中学校の最大の特徴といえるでしょう。ここでは従来型の、正解を暗記して瞬時にパターン認識して処理できる「情報処理力」だけではなく、「考える力」を養うことに注力しています。「考える力」とは1つのことを巡って関係性のある物事をイメージし発想をつなげていく、「情報編集力」です。

 そのような関係性をイメージする力はコミュニケーションを繰り返す中で養われるのですが、世の中が便利になって他者とコミュニケーションをとらなくても暮らせるようになり、そのような力が養われる機会が失われてしまいました。テレビやケータイは子供からコミュニケーションを奪い、「地域」の衰退でコミュニケーションの舞台であった「ナナメの関係」も失われつつあります。

 そのような中で「情報編集力」を育てるために、筆者は和田中に「よのなか」科を創設しました。ここでは正解が1つではない課題を取り上げ、大人と子供がともに議論しながら学ぶスタイルをとっています。授業では異質な他者とのコミュニケーションを行い、ロールプレイングで他人の視点から考え、シミュレーションで将来の影響を予測し、ディベートで分析的に議論を行います。そのようにして、自分が主体となって考える習慣をつけられるように工夫されています。

 「よのなか」科は校長である筆者自らが授業を行います。それは学校で習っている「知識」を世の中で通用する「知恵」と「技術」に変換する授業であり、実際に使用されたワークシートが本書添付されています。

 扱うテーマは「金融経済」、「政治・法律」、「現代社会の諸問題」など。現実社会では生徒を取り巻いているにもかかわらず、従来学校ではタブー視されていた「お金」や「いじめ」、「死」などの問題について生徒に考えさせます。

 また、「職業体験」も行っています。これは自分の適性の分析からはじめて、仕事のしくみを学んだり「新しい仕事を創る」といった取り組みを通じて働くことについての豊かなイメージを持たせるものです。

 いずれも「正解のない」課題ばかりであり、自分で考え、調べ学習をし、さらに班で議論し、班の意見を統一し、論理思考や多面的なものの見方、説得やプレゼンテーションの技術を学びます。さらに授業の感想を書かせ、必ず振り返るようにしている点も特徴的です。

 筆者は公立校の再生こそが今後の教育のために重要であると主張します。私立校は、本来のメリットであった個性が失われ、どこも受験を見据えた進学校になり、そのために生徒の個性も均質化してしまいました。しかしながら受験勉強では他人のつくったパズルを解く「情報処理力」は身につきますが、自分でパズルを作る「情報編集力」は身につきません。今後の日本で求められるのは後者の能力であり、自分の人生をマネジメントする力が必要となります。

 私立校は同質集団なので教育の効率は確かに上がりますが、これは教育の品質とはまったく無関係であると筆者は述べます。一方で公立校は異質集団であり、「異質な他者」とのコミュニケーションという、社会で求められる能力を身につけることができます。「異質な他者」とのコミュニケーションを養うには家庭では限界があり、学校と地域が担うべきものなのです。

 高度成長を終えた日本は世代・職業によって利害も価値観も異なる複雑な社会であり、異質な人々同士が折り合いをつけていく必要があります。これには「公共性」が必要であると筆者は言います。西洋では「公共性」を宗教、教会が保障してきましたが、日本では異質集団で生活する学校がもっぱらこれを担っていました。この「公共性」は「愛国心」「思いやり」などを含むものです。

 したがって、私立校ではなく公立校の再生こそが、「公共性」を育むために必要なのです。

 公教育の信頼を回復するには校長のリーダーシップに率いられた学校の開放と地域社会の再生しかないと筆者は断じています。再生するべきは「教育」ではなく、「地域社会」とそこで起こる良質のコミュニケーションであり、そのために和田中の例に倣い、全国の中学校が地域と連携した学校運営を始める必要があるのではないでしょうか。


(written by tomoya)
ラベル:事例研究
posted by ideamix at 10:12| 教育像の探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。